DeNAでヒューマンリソース本部長を務める崔大宇(チェ テウ)の今までのキャリアは、変化が大きいように見えるかもしれません。
大学院生時代にDeNAでインターンを始めた際には苦手な営業職を自ら選んだと言います。2010年にDeNAに新卒入社後は、将来ビジネス職として自らサービスをつくれるようになりたいからと、あえてビジネス職でなくエンジニア職を志望しスキルを身につけました。その後、様々な領域の事業づくりを推進。
自らの領域を限定せず、可能性を広げてきた崔は今、人事未経験ながらヒューマンリソース本部長として1人1人の可能性を広げ、より多くの人がいきいきと働ける組織づくりに取り組もうとしています。
自身の可能性を広げ続けてきた彼が、周囲の人の可能性を広げるほうに力を注ぐようになったのはなぜなのでしょうか。崔に今までのキャリアストーリーを語ってもらうことで、その転機は中国赴任時代の経験にあったことが見えてきました。
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もともとは金融工学のプロを目指していた
株式会社ディー・エヌ・エー ヒューマンリソース本部 本部長 崔大宇
東京大学大学院 (工学系研究科航空宇宙工学) 卒。2010年DeNAに新卒入社。 エンジニアとしてソーシャルゲーム開発に携わった後、中国など海外拠点での組織開発を担当。その後エンタメやメディア、AI領域での新規事業立ち上げを経て、18年4月から現職。
こんにちは。DeNAのヒューマンリソース本部で本部長をしている崔大宇といいます。
自ら志望したのですが、正直、かつての自分を振り返ると、まさかこの仕事をすることになるとは思いもしませんでした。なにせ私は「社会に出たら金融工学の世界でプロフェッショナルとして活躍したい!」そう考えていましたから。
もともと、私は数学が好きでした。だから大学院では、数式を存分に使う宇宙工学を学んだ。それで、非線形数学などの知識が活かせ、世界に大きなインパクトをもたらす金融工学に携われるような仕事を目指して就職活動をし、外資系金融機関から内々定をもらっていました。
ところが、当時は2008年。リーマン・ショックがあって、内々定が取り消しになったんです。そこで翌年、改めて就活をやり直してたまたま選んだのがDeNAでした。金融工学とは無縁の場所で外資系のキャリアとも、当然違う。
2回目の就職活動はどうしようかな、と周囲の先輩に話を聞いたら「崔のようなちょっと生意気なヤツはベンチャーに行ったほうがいいのでは」といった勧めがあり、試しにDeNAの会社説明会に行ったことがきっかけでした。
そこで南場(※1)の話に、やられた。「うちの会社は役職で階層ができているようなピラミッド型組織ではない。全員が球の表面積として会社の看板を担う球体の組織」「世の中にひっかき傷を残すような仕事をしよう」というビジョンに共感しました。また、それまで就活で出会った人たちとは違う種類の優秀な人間、「世の中にインパクトを残すことをこの会社で成し遂げたい」というタイプの人たちが集まっていておもしろいなと感じたのも決め手の1つでした。
※1…南場智子。DeNA創業者で現在、代表取締役会長。
あえて不得意な仕事を選ぶ
内定してからは、入社する前に大学院在学中にDeNAでインターンをしました。そのときの仕事内容はEC事業の電話営業。自分が一番向いていないと思う分野をあえて選んだんです。そちらのほうが成長できると考えたからです。
DeNAに入ったからには「世の中にひっかき傷を残す」ような、サービスやプロダクトをつくりたい。そんな思いを持っていたからこそ、そこに行き着くまでには「普通に考えたら歩まなそうなキャリア」をあえて経験したいと考えました。
苦手な仕事だっただけに、とにかく先輩たちのワザを研究し真似しました。「あの人は脈がないと思ってからのトークがすごいな」とか「あの人は要点をいう際、必ず大声で笑いながら話すな」とか。
もともと自分はコミュニケーション力が長けているというよりも、仮説検証を好むタイプ。だから電話営業でも「仮説検証」を日々繰り返しました。その結果ありがたいことにMVPを頂くことができました。地道に仮説検証を積み上げていた結果が、成果になったんです。
このときの経験から「食わず嫌いは絶対にしないでおこう」という考えが芽生えたような気がします。自分が自分で決めた「適性」なんて、あてにならないものだと思っています。
入社後は、手をあげてエンジニア職からスタートしました。その頃は、営業や企画系のビジネス職か、エンジニア職かを選べたのですが、実際にサービスをつくれるビジネス人材になればいいじゃないかということで、未経験ながらエンジニアの道へ。
自ら手を動かして、プロダクトやサービスをつくる経験をしておけば、将来ビジネス職になったときに必ず活かせると考えたんです。大変でしたけどね。
▲当時の様子。未経験だったが、自ら手を挙げエンジニア職からキャリアをスタートさせた。
スマホゲームの制作現場で、四苦八苦しながら手を動かして、プログラミングや設計を手がけたことは今も財産になっています。
中国で苦戦。自分が動き回っても数%の改善にしかならない
入社2年目を迎えた頃、組織の再編があり、当時、社長室を兼務していた上長から「社長室に若手を参画させたい。崔来るか?」と誘われました。このままエンジニアとして腕を磨く選択肢もありましたが、事業の意思決定プロセスに関わるダイナミックな経験ができると思い、私は迷いなく社長室を選びました。
ちょうど会社はグローバル展開を加速させていたタイミングで、社長室に配属された私はMobage(※2)の海外展開を担うのが仕事でした。
最初は韓国の立ち上げをしました。翌年の2012年から、上海にあるDeNA Chinaを「ローカライズ拠点として立ち上げる」というミッションを現地に赴任して手がけたんです。そして、このときの経験が、今のHRにいたる私の大きな転機となりました。
当時の上海は、現地で採用した中国人スタッフ10名強で編成されたスモールチーム。そこに私が加わり、日本や米国で開発したゲームを中国版、韓国版などにローカライズしていくことが、部署のミッションでした。
※2…モバゲー。携帯電話向けのポータルサイト兼ソーシャル・ネットワーキング・サービス。
▲入社3年目当時の様子。DeNA China赴任時代。ゲームのローカライズを牽引していた。
「他国でつくったゲームをローカライズする」という仕事としての難易度の高さと、文化や働き方の違いが重なって、最初はとても苦労しました。たとえば、ソースコードやゲーム性の改変が個人の判断で行われてしまうということがあったのですが、そうすると後から本国でアップデートがあったときに対応できなかったりするので大変なんです。
当初は、私自身が現場に介入してボトルネックを解消していくスタイルで仕事をはじめました。エンジニアの経験があったので、ある程度、手を動かしてカバーはできました。加えて「わからないことがあったら全部私に聞いてくれ」と自分がカバーできるように力を入れていました。
けれど、私が2倍3倍動いても数%の改善でしかないわけです。これは困った、と思いました。
寄り添い任せることで、メンバーが自発的に動くように
そこで、もしかしてメンバー1人1人を伸ばしたほうが、ずっと簡単に成果につながるのではないかと思い至りました。
そう考えた後は、とにかく彼らの近くに寄り添って、コミュニケーションをとることにしました。「ソースコードを変えないで」ではなく「そこを変えると、次のバージョンアップをした時に開発側が困るので、本国に相談してみようか」と、しっかり内実を伝えて提案をする。
▲バックグラウンドが異なるメンバーや交渉相手と議論を重ねた
たとえば作業で悩んでいるメンバーがいたら「ひきとるから大丈夫」ではなく「どうした? 一緒に考えてみようか」と並走しました。
その時々はまどろっこしくて、時間はかかります。けれど、そうやってコミュニケーションを積み重ねて、彼らを信じて、少しずつ仕事を任せていくと、変わっていくんですよ。
全員が少しずつ頑張ってくれるような環境、雰囲気、コミュニケーションを心がければ、集積した成果は1人では絶対に成し得ないものになる。実際、マネジメントのやり方を変えてからは、売り上げの目標をクリアするようになりました。
さらに「こういう工夫をすればもっと売り上げ利益があがるのでは?」といった、全体的な戦略を見据えた提案が、現場からどんどん上がってくるになったんです。
皆がいきいきと働くようになった。これは中国も日本もない。ある意味、人間の本質的な真理だと気づきました。人間1人1人が持つ能力は、当然違う。けれどその能力を開花させることができれば、ものすごい力が生まれて職場全体の高揚感をつくりあげることができるんだということを、上海の現場で肌で感じたわけです。
いきいきと働ける組織づくりにワクワクしている
今回お話したのは、私の個人的な経験のほんの一幕です。けれど各自が自発的に働いてそれぞれが持っているポテンシャルが存分に発揮されれば、必ず組織はもっと強くなるはず。そしてその先に事業の成功が待っていると信じています。
事業の成功が先か、1人1人がいきいきと働けるのが先か。この因果関係においてどちらが先かはわかりませんが、わからないなら試してみたい。
今はHRとしていろんな施策を試行錯誤しながら、実践しています。ただ狙いはひとつ。働いていて「ワクワクできる環境」をつくること。言い方を変えると「笑顔で働ける場」をつくりたい、ということなんです。
そうした良い雰囲気の中でこそ人は力を発揮できて、組織が強くなります。そして、私自身もそんな人や組織が変化していく様を見るのが何より楽しいんです。
だから、これからもそんなワクワクをつくり続けるのが私のミッションだと思っています。そして究極的には、こうした人の力を最大化させる仕組みが確立され、世の中に引っかき傷を残せるようなサービスをどんどん我々の力で出せたら最高ですよね。
考えていたら、さらにワクワクしてきました。やるべきことは多くあります。
※本記事掲載の情報は、公開日時点のものです。
執筆:箱田高樹 編集:榮田佳織 撮影:杉本晴