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なぜ僕らはファンと「共創」するのか?YOASOBI×「オセロニア」プロデューサー対談

2025.10.21

“オセロだけどオセロじゃない”スマートフォン向けドラマチック逆転バトル『逆転オセロニア』(以下、オセロニア)は、2026年2月に10周年を迎えます。10周年へのカウントダウンツアー「オセロニアンの宴2025」は10月12日に大阪で幕を開け、今後、札幌から福岡まで全国各地を巡る予定です。

そんな中、先日、オセロニアのプロデューサー・香城 卓(以下、けいじぇい)がYOASOBIのプロデューサー・山本 秀哉氏と対談しました。対談のきっかけは山本氏との偶然の出会い。会話を交わす中で見えてきた、音楽とゲームという異なる領域におけるプロデュース哲学の意外な共通点。それを深く掘り下げてみたくなったとけいじぇいは話します。

前編となる今回は、YOASOBIとオセロニアの共通点である「ファンとの共創」をテーマに、音楽とゲーム、異なるジャンルのプロデューサー2人が語ったその内容を全文お届けします。

ファンと「一緒につくる」。YOASOBIとオセロニアの原点

香城 卓(以下、けいじぇい): YOASOBIさんと私たちオセロニアの共通点として、まず一つは「ファンと一緒につくっている」というスタイル、あるいは考え方があると思うんです。

山本 秀哉氏(以下、山本): その点で言うと、お話を伺っていてファンへの寄り添い方が本当にすごいと思いました。見習わなければなと。

▲株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント 山本 秀哉(やまもと しゅうや)氏
2012年ソニーミュージックグループに入社、CDやゲームのパッケージ制作業務を経て、現在はさまざまなアーティストの宣伝・制作業務に携わる。2019年よりYOASOBIプロジェクトの立ち上げに参画。

けいじぇい: ゲームを届ける中で、日本にどれくらいのプレイヤーがいるのかはシステムを通して把握していたわけですが、そのプレイヤー同士のつながりは全くなかったわけです。オセロニアは対戦ゲームなので、そうした仲間のつながりをつくってあげた方が、もっと楽しんでもらえるのではないかと考えたのが最初のきっかけの一つです。

もちろん、SNSなどでつながって一緒にゲームをすることもできますが、やはりリアルな場で、つまり目の前にいる相手と対戦し、打った手に対する相手の表情の変化なども含めて体験してほしかった。そして対戦後に「あの時はこうすれば良かった」と語り合うことまで含めて一つのゲーム体験にしたかったんです。

ゲームを制作していると、どうしても「どんな機能を入れるか」「どんなキャラクターを出すか」ということに集中しがちですが、今となってはそれは全体の半分くらいで、残りの半分は「オセロニアン(プレイヤー)たちの関係性がどう広がっていったか」ということ自体が大きなコンテンツになっていると感じます。

▲株式会社ディー・エヌ・エー ゲームサービス事業本部開発運営統括部第一企画部ゲームプロデュースグループ 香城 卓(こうじょう たく)@けいじぇい
2011年にDeNAに入社。代表作「逆転オセロニア」は2026年2月で10周年を迎える。同作は国内3,700万ダウンロードを突破(2025年9月時点)

「制作プロセス」もエンタメの一部。ファンを巻き込む時代の流れ

山本:素朴な疑問なのですが、たとえばオセロニアからはプレイヤー同士のつながりをつくっていくという姿勢がお話からも非常に伝わってきます。一方で、他のスマートフォンゲームでは、ファンとのつながりをつくることは一般的にどれくらい大事にされているものなのでしょうか?

けいじぇい: オセロニアで言えば、これまで大事にしてきたからこそ育っていったという側面もあるでしょうし、結果的に育ったゲームにはそうしたファン同士のつながりが生まれていったという側面もあると思います。

意識していたかどうかは別として、どれくらいのユーザーさんが遊んでいるかということよりも、その中でどれだけ人間関係が生まれたかということがほぼ同義なのだと思います。

山本:そもそも一人でゲームをしていても十分に楽しいですが、そこにつながりが生まれるとさらに付加価値がついていくのだろうと感じます。

けいじぇい: オセロニアは2016年のリリースなので、コロナ禍に入るまで丸4年間ありました。その期間は日本中を回りながらさまざまな街のオセロニアンたちに会いに行き、彼らをつなげていくという活動ができました。実際に会うことでその意義を実感できたのです。理論立てて説明できるわけではありませんが、自分たちがやっていることの正しさや意義を強く感じられたのは大きかったかもしれません。

以前に比べて、音楽制作もそうですし、エンターテインメント全般に言えることですが、制作のプロセスが可視化されるようになりました。昔は完成されたものだけが世に出て、それがどう受け入れられるかという結果しか分かりませんでした。しかし今は、制作の過程やそれに対するファンの反応まで含めて、すべてが一直線につながった体験になっている気がします。だからこそ受け手もそのプロセスに期待し、それ込みで音楽やゲームを楽しんでいるのだと思うのです。

山本:基本的には、そのプロセスもエンタメの一部だと考えています。もちろん見せるべき時と見せないべき時があるのは当然ですが、曲によってはすべてを語らない方が聴き手に色々なことを想像してもらえる場合もありますし、逆にきちんと伝えた方がある種の分かりやすさをもって曲を深く理解してもらえる場合もあります。そういった取捨選択は常に行っていますが、基本的に制作の裏側なども含めて一つの作品だと捉えています。その意識で全体を見ながら、表に出すものと出さないものを判断しています。

再生回数では測れない「熱量」の価値と、その伝播

けいじぇい: まさにその「裏側」がコンテンツ化しているというのは、ゲームにも言えることだと感じます。これからの時代の流れとして加速していると感じるのが、運営側がユーザーさんにどう向き合っているか、その姿勢自体がコンテンツになっているという点です。

ユーザーの方からご意見をいただいた際、以前は「お知らせ」として文章でどのように説明するかを考えていました。しかし最近では、動画を撮って「このような経緯で、私はこういう考えのもとに判断しました」と直接伝えた方が真意が伝わり、ゲームに対する見方が変わるような気がしています。つくり手の向き合い方や人間性といったものが、特にゲームという領域で今まさに重要になってきていると感じます。

山本:それはある種の「深さ」に関わることだと思います。深く掘り下げない人はそこまで気にしないかもしれませんが、好きになってくれた人が音楽やゲームについてもっと知りたいと思った先に、そうしたコンテンツが用意されているわけです。エンタメやコンテンツが凄まじく溢れている中で、表面的な知識や内容だけではすぐに飽きられて次のものへ移ってしまう。そこにしかない価値はどんどん深く掘っていくことにあると思います。

たとえ“100人しか見ない”というようなものでも、それで良いと考えています。むしろ「それがある」という事実が意外と重要なんです。熱心なファンがそれを知っていることは、ある種の優越感につながる場合もあるかもしれません。「私はここまで知っている」という、そのコンテンツに対する愛情の表明になり得るのです。私たちの生活においても、そういったことで保たれている部分は少なからずあると思います。ですから、再生回数が少なかったとか、あまり見てもらえなかったという物差しだけで判断せず、「あること」が大事だという感覚でそういったコンテンツを用意することがあります。

けいじぇい: そのコンテンツを愛してくれる人たちにとって重要な情報であれば、たとえ何千人、何万人が享受していなくても、きっとその熱量が伝播していくのだと思います。

山本:それを説明するのは難しいですし、証明することも困難です。

けいじぇい: そうですね、証明はしづらいです。

山本:実際にそうなっているかも分かりません。ただ、ある種の想像力を持って「これは大事だ」と思うものは、再生回数がどうだったかという概念ではあまり測らないようにしています。もう少し外側から見ると「これは本当に必要だったのか?」という議論は起こり得ます。しかし、そこはかなり割り切ってやっています。

けいじぇい: 私たちも地方でリアルイベントを開催する際、何百人も集まれば大きなイベントになりますが、10人未満で実施したこともありました。スタッフと2人で参加者と4時間話し続けたこともあります。しかし、その時参加してくれたオセロニアンがそれから約2年間、イベントがあるたびに来てくれるようになったのです。その方が高校生になり、高校2年生になりと、人生が進んでいく姿を見ていると、私たちもその方のことを取り上げたくなりますし、「こういうオセロニアンがいるんだよ」と広めたくもなります。それは決して数の大きさでは測れません。

人に伝えることの強さは確かにあると感じます。仮に一人だったとしても、その出会いをすごく大事にしたい。だからこそ今も活動を続けられているのだと、心の底から信じている部分があります。

山本:それは非常に大事なことです。私たちもそこは大切に考えています。だからというわけではないですが、7月から開催中のホールツアーでは約40公演、あまり都心部ではなく、これまで行ったことがないエリアを中心に組んでいます(※)。以前、東京ドームや京セラドーム大阪で公演を行いましたが、今回の会場は二千人から三千人規模で、ドームに比べればずっと小さいです。しかし、それを約4ヶ月かけて丁寧に回っていくことは、個人的にとても大事だと感じています。YOASOBIが長く活動を続けていく上で、そうやって仲間と直接会い増やしていくことは、非常に意味のあることだと考えています。

「夜に駆ける」で発見した、クリエイティブを“回遊”する新しい体験

けいじぇい: 山本さんのお話には、受け取った人がどんな気持ちになり、どんな思い出をつくるかという「体験」を重視する姿勢が一貫してあるからこそ、「4ヶ月で40公演やろう」という意思決定につながるのでしょうし、それが長く続いていくための源泉になるという確信があるのだろうと感じます。YOASOBIとオセロニアの共通点という点では、オセロニアではユーザーがつくってくれたキャラクターや設計してくれたキャラクターを実際にゲームに登場させる「共創」という取り組みに力を入れています。先日お話しした際も、ファンの方がつくってくれたものを活用するという身近なお話をされていましたね。

山本:そうですね。YOASOBIは「小説を音楽にする」というコンセプトのユニットです。何かしらの原作があり、それを基に楽曲を制作しています。楽曲自体はAyaseが書いており、彼の思いももちろん込められていますが、「小説を音楽にする」というテーマがある以上、その原作となる小説をどう用意するかによってさまざまなバリエーションを生み出すことができます。その点は、逆にお客さんを巻き込むツールとして私たちも非常にやりやすいと感じています。

けいじぇい: そういった取り組みを後から始めたというよりは、一番最初のきっかけがそうだったのですよね。小説を書いてくれる人のクリエイティビティを音楽にしていく、というアイデアに至った経緯は何だったのでしょうか。

山本:もともとソニー・ミュージックエンタテインメントが運営している「monogatary.com」という小説投稿サイトがありまして、そこで年に一度開催しているコンテストがきっかけでした。その中の賞の一つに、グランプリに選ばれた小説を楽曲とミュージックビデオにする、という特典を付けたのです。それが最初の企画でした。

そしてリリースした「夜に駆ける」という曲を聴いてくれた人が、実は原作小説があると知って読んでみて「こんな話だったのか」と衝撃を受ける。そしてまたMVを見て、歌詞を改めて読み返し、さらに小説に戻ってくる、というようにクリエイティブの間をぐるぐると回遊してくれるようなコメントが非常に多かったのです。「新しい体験だ」と言ってくれる人も多く、ここに面白みを感じる人がいる、ここが意外な面白さのポイントなのかもしれないと、リリースしてみて初めて気づきました。これほど面白がってくれる人がいるのなら、これをユニットのコンセプトとして貫いていくのも面白いかもしれないと考え、途中から正式なコンセプトとして確立させていきました。

「自分が介入できる」エンタメの時代へ

けいじぇい: 必ずしもプロがつくったものだけを享受する、というかたちではなくなってきていると感じます。世界的に見ても、ゲームの世界ではユーザーさんがつくったコンテンツに介入できるものが非常に人気を集めています。今のティーンエイジャーは、自分がそのコンテンツにどう参加できるか、どうクリエイティビティを発揮できるかということに強い興味を持っています。これはあらゆるジャンルで加速していくでしょう。

たとえばゲームでは、材料は提供するがつくるものはユーザーさんに委ねる「サンドボックスゲーム」(※)という形式だけでなく、あらゆるゲームでプレイヤーと一緒につくっていくという流れがもっと強まる気がします。そして、まさに今お話しいただいた音楽の例のように、エンターテインメントの向き合い方そのものが、私たちが若かった頃に享受していた形とは全く違う形でこれから生まれてくる可能性を強く感じさせる事例だと思います。

※……「砂場」を意味する「sandbox」に由来するゲームジャンル。明確なゴールやストーリーが存在せず、プレイヤーが自由にゲームの世界を探索し、想像・破壊を楽しむことができる。

山本:けいじぇいさんの動画を以前拝見した際、「あまりデータを見なくなった」とおっしゃっていましたよね。

けいじぇい: はい。

山本:それがすごく分かるなと思ったんです。感覚的なものなので、合っているかどうかの証明が難しく人に伝えるのが面倒な時もあるのですが、それでも感覚で正しいジャッジが下せたら一番良いですよね。

データを色々と集めている間に、こちらが感覚で正しい道を素早く判断できるのが最も理想的な形だと思います。お客さんがこれを投げかけられたらどう反応するかをできる限り鮮明に想像する。「こういう人もいるし、ああいう人もいるだろうな」ということを、ある種の癖として常に想像できていれば、意外と感覚で判断する方が正しい時があると思います。

けいじぇい: 分かっていただけて嬉しいです。これは言葉にするのがなかなか難しくて、勇気がいることなんです。「データを見ない」「数字を見ない」というのは少し乱暴に聞こえますし、それを見るのがプロではないかという意見もあるでしょう。もちろん見ているんですけどね(笑)。

山本:見ていますよね(笑)。

けいじぇい: ええ、見てはいるんです。

山本:データを見る時は確かめに行く感覚ですね。「おそらくこういう数字だろうな」と予測して見に行き「合っていた」と確認する感じです。

けいじぇい: 自分の感覚と判断が合っていた、と。

山本:もし間違っていたら「なぜだろう」と考え直す。自分の想像が合っているかどうかを確かめるためのツールとしては使いますが、ゼロベースでデータを見に行くことはあまりないかもしれません。

けいじぇい: そう考えると、プロデュースやプロデューサーといった仕事は今後変わっていくと思われますか?


アーティストの10年と、ゲームの10年。
音楽業界は、ゲーム業界は、これからどうなっていくのか。
若い人たちに、自分の仕事の真髄を伝えるとすれば……。後編に続きます。

事業家のDNA

本記事の内容は、DeNAの公式YouTubeチャンネル「事業家のDNA〜事業家を目指すあなたへ〜」にて動画配信されています。そちらもぜひお楽しみください。

※本記事掲載の情報は、公開日時点のものです。

編集:川越 ゆき 撮影:山下 隼生

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