挑むはメディカル領域のHRBP。現場・社員目線の戦略人事で事業と組織の成長を後押し
2024.01.17
「働きながら学び直したい」「長年培った専門研究を社会に還元してみたい」──。
近年、リスキリングの重要性が叫ばれる中で、全大学院生に占める社会人大学院生の割合は、2000年度の12.1%から2023年度には23.1%と大幅に増加しています(文部科学省「学校基本調査報告書」より)。また、あらゆる業界で文系理系を問わず多才なバックグラウンドを持つ人材が強く求められる昨今、こうした向上心や貢献意欲を抱く方は多いのではないでしょうか。
しかし、新たな挑戦やキャリアチェンジには、期待とともに不安がつきもの。実際、そこにはどのような苦労や喜びがあるのでしょうか。
今回は、ヘルスケア事業本部で活躍する2人のキャリアに注目します。製薬企業の研究職から京都大学大学院へと進み専門性を深めた佐野 博美さん、米国アカデミアの研究者からDeNAへと転身した井筒 弥那子さんへのインタビューを通じて、学びと挑戦のリアルに迫ります。
目次
──今回は「働きながら学ぶ」「研究をビジネスに活かす」をテーマに、お二人のこれまでを掘り下げながら、キャリアを考える上でのヒントを探っていきたいと思います。
まずは佐野さんから。前職は製薬企業の研究職だったと聞いていますが、薬学の道を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。
佐野 博美(以下、佐野):実は、祖父の代からの薬剤師家系で、いろいろ考えて、というよりも、薬学の道に進んだのは自然な流れでした。
当時の薬学部卒業後の進路としては、主に研究者、病院や薬局で勤務する薬剤師、製薬企業があり、私自身は大学に残って研究を続けるというより、人と何かをする方が向いているんじゃないかと思い、大学の研究室の教授からも「製薬企業が向いているんじゃないか」と助言されたこともあって、それならばと製薬企業のMRからキャリアをスタートさせました。
――MRの仕事は、実際いかがでした?
佐野:MR(※)の仕事は、私にとって天職でした。病院の先生方とディスカッションするのも楽しかったですし、他社のメーカーさんにも同世代が多く、人と話すのが好きな私には最高の環境でした。自分の提案が採用されていく過程に面白みを感じ、大きなやりがいを得ていました。
※……Medical Representative(医薬情報担当者)の略称。医師・薬剤師などの医療関係者に医療用医薬品の情報提供を行い、適正使用を推進する役割を担う。
──ただ入社4年目に臨床研究の部署に異動されます。
佐野:「キャリアチェンジを」と意識したわけではなく、ライフステージの変化に合わせての異動でした。名古屋から大阪に異動後に臨床研究に携わるようになり、その後東京本社へ。本社ではちょうど「メディカルアフェアーズ部(MA部)」(※)が立ち上がるタイミングで、研究業務と並行して、部長補佐のような形で企画業務も担当するようになりました。
その後、2016年頃にデータベース研究、いわゆるビッグデータを使った研究チームが立ち上がり、そこに声をかけていただいたのが現在のキャリアにつながっています。
※……メディカルアフェアーズとは、製薬企業が自社の医薬品の科学的根拠に基づいた情報や、利用者の方々の正確な情報を整理して医療関係者や患者様に提供する役割のこと
──臨床研究からビッグデータを扱うデータベース研究へというのは、かなり領域が異なる印象です。
佐野:そうですね。それまではアンケート調査や市販後薬剤の実態調査など、新しいデータを集めて分析する研究が中心でした。しかし、レセプトデータなどのビッグデータを活用しようという波が到来し、前職の製薬企業でもビッグデータを専門に扱う部門が立ち上がりました。こうした背景から、私もデータベース研究に深く関わるようになりました。
──データベース研究を専門に扱うようになり、臨床研究とは異なる知見やスキルが必要になったことで、大学院進学を考え始めたのでしょうか?
佐野:はい。薬学にはそれなりに知識はありましたが、ビッグデータ解析はほとんど素人の状態で、戸惑いを感じていました。研究の大まかな流れは理解していたものの、当時はまだビッグデータに精通している人は少なく、研究のベースになる知識を体系的に身につけたいという思いが強くなり、大学院への進学を考え始めました。
──そこで働きながら大学院を目指し始めたわけですね。
佐野:京都大学大学院(以下、京大)の教授に「健康情報学」を研究されている先生がいらしたので、「院に入り直して、先生のもとで学びたいと考えています」とご相談し、受験の準備をはじめようと考えた頃、第一子を授かりまして。一度立ち止まることにしました。
けれど産休中も「学びたい」という思いは変わらず、むしろ大きくなり、産休明けのタイミングで、京大の1年間のウェブ研修プログラムを受け始めました。子どもが寝た後に動画を見て学ぶ、という生活でした。その後第二子を授かり、2021年に復帰したタイミングで大学院に入ることを決意、2023年年4月に入学しました。
──2人のお子さんを育てながら、仕事も復帰したうえで受験勉強、そして大学院で学ぶ。ものすごくハードだったのではないですか?
佐野:確かにハードではありました(笑)。勉強はなるべく土日に集中させたり、隙間時間、移動時間をとにかく有効活用して勉強していました。入学前はコロナ禍で在宅勤務が可能だったのは幸いでした。そして大学院に入った後は、朝、保育園に子どもたちを預けたら、住んでいる大阪から京都まで通って、移動中は仕事をして、という毎日でしたね。
──苦労もあった分、念願の「健康情報学」の学び直しは、意義あるものでしたか?
佐野:とても。同級生の8割が現役の医師で、その他にも保健師、薬剤師、看護師など、現役の医療従事者で、多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まっていました。それぞれの立場で、研究のテーマも、その元になるリサーチクエスチョンも違っていました。授業や研究の際、それぞれが現場の知見をもったうえで熱くディスカッションできたのはとても価値ある体験で、視野が広がりました。
──ちなみに佐野さんの研究テーマは何だったのですか?
佐野:頭痛におけるOTC(一般用医薬品)の研究です。
頭痛に悩まされている方は多いのですが、医師にかかる方はそれほど多くなく、OTC医薬品で対処していることが当時在籍していた製薬会社での調査で分かっていました。ただ、OTC医薬品は薬局やインターネットなどで気軽に購入できるため、データを追うのが難しく、実際にOTCがどれくらい効果があるのかなど、使用実態に関する研究はあまり行われていませんでした。ならば、それを研究テーマにしようと、取り組むことにしたのです。
──なるほど。製薬会社で働き、分析業務をしていたからこそ見つけられたテーマとも言えるわけですね。ところで、大学院1年目でDeNAに転職されます。きっかけは?
佐野:頭痛を持っている方で受診している人としていない人でQOLはどう違うのか、労働にどのような影響があるかを調査する際に活用したのがヘルスケアエンターテインメントアプリ『kencom®』(以下、『kencom』)のデータでした。
大学院でデータベースに関する事だけでなく、疫学や統計など研究に関わる情報を学び、知見が深まる実感もありました。勤めていた勤務先での研究もより確度の高いものになる喜びもありました。しかし、自分のスキルや知見が高まるほど、「論文化すること自体がゴールになっている」ように感じ始めたのです。
論文が研究者の役に立つことはあっても、論文そのものでは「誰も健康にならない」という思いが募りました。自分の研究やスキルがもっと直接的に、誰かの健康に役立つ仕事を手がけたい。大学院での学びが深まるほど、そうした「手触り感」のある仕事への意欲が強くなりました。
──一方の井筒さんは、DeNA以前は研究一筋のキャリアを歩んでこられました。最初から研究者を目指されていたのでしょうか?
井筒 弥那子(以下、井筒):いえ、そうではありません。理系の学生は修士課程まで行かなければ専門職のキャリアに進めないという風潮があったため、大学院に進むことは前提でした。
その中でどの研究室を選ぶかとなった時、「どうせなら自分のやりたいことをやろう」と決めたのが、研究者への道のスタートです。
──「やりたいこと」とは何だったのでしょう?
井筒:漠然と「進化」に興味がありました。従来の進化学は、化石や現存の生物を比較して「こう進化してきたのではないか」と類推する理論的なアプローチが多いのですが、私は「自分の目で進化を見たい」という気持ちが強くて。
好奇心の赴くままに、当時まだ新しい領域だった「実験進化学」の研究に参加することにしました。
──「実験進化学」とはどのような学問ですか?
井筒:実際の生物を使って実験的に進化の過程を再現し、観察・分析する学問です。大学院に進むにあたって研究テーマを何にしようか悩んでいた学部3年生のとき、日本分子生物学会という大きな学会でさまざまな研究発表を見る中で、京大のある研究室がおもしろい取り組みをしていることを知りました。
──おもしろい取り組みとは?
井筒:「暗黒ショウジョウバエ」を使った実験進化の研究でした。
──暗黒……ショウジョウバエ、ですか?
井筒:はい(笑)。京大では1954年から完全な暗闇の中でショウジョウバエを飼育し続けていました(現在は東北大学に移動)。それが「暗黒ショウジョウバエ」です。
最初は行動学の研究として始まったらしいのですが、実験を始めた教授はもうすでに退官されていて。ただ、飼育だけは1500世代以上続けられていて、言わば研究室の「遺産」として残っていました。とても面白そうな研究だったので、当時所属していた東京理科大学の教授に頼んで指導委託という形で学部の卒業研究から京大のプロジェクトに関わらせて頂きました。
──60年を超える暗闇での進化を解明する壮大な研究ですね。そのハエを用いて具体的にはどんな研究をしたのですか?
井筒:私が携わったプロジェクトでは遺伝子にどのような変化が起きているかをゲノムや遺伝子発現レベルで調べたり、暗黒バエではないハエと混ぜて再選択実験を行ったりしました。結果は複雑で一言では表しにくいのですが、とても興味深かった(※)。学術雑誌の表紙を飾ったこともあるんですよ。
※……研究結果についての詳細はこちら「ショウジョウバエの暗闇適応に関わる遺伝子の網羅的解析」
──世界的にも注目される実験だったわけですね。誰もやっていない研究を進めていく中で、どのような瞬間に喜びを感じましたか?
井筒:実は、私は「誰もやっていないこと」自体にはあまり興味がなくて。それよりも、自分が疑問に思ったことが、実験を通して理解できた瞬間に喜びを感じます。純粋な好奇心を満たしていくプロセスが楽しかったですね。
──その後アメリカに留学されたのも、同じ暗黒ショウジョウバエを使った研究を進めるためだったのですか?
井筒:それが全く違うんです。暗黒ショウジョウバエの研究は知的好奇心も満たし、興味が尽きることはありませんでした。しかし、「進化」の文脈で考えると、ショウジョウバエではやはり時間がかかりすぎました。
ショウジョウバエで進化実験をしようと思うと、数十年単位の観察が必要になります。研究を進める中で、「別のリサーチクエスチョンに答えるための進化実験をデザインから自分でやりたい」と感じるようになり、より短時間で進化の過程を観察できる大腸菌をモデルに研究したいと考えるようになりました。大腸菌は条件が良ければ20分で世代交代しますから。
──それもすごいですね。
井筒:そして大腸菌の実験進化の論文を読み漁っていくと、私が「おもしろい」と思う論文には、必ずミシガン州立大学の同じ教授の名前があって。拙い英文メールで「先生の研究室で学びたい!」と志願しました。
ただ人気の研究室でもあったので「暗黒ショウジョウバエの研究をやり遂げなさい。その後、ポスドクとしてなら考える。研究費は自分でとってきてほしい」などと条件を出されまして。京大での研究を完成させ、再度アプローチしました。国際学会でその研究室の人を探して、その人を通して教授に連絡を取ったり、実現させるためにできることは全部やったという感じです。
──大学院を出た後は、どちらで研究を続けられたのですか?
井筒:理化学研究所(以下、理研)に入所しました。当時、理研には日本でほぼ唯一、大腸菌を用いた進化実験に力を入れている研究室がありました。そこで、大腸菌を用いた実験の基礎を徹底的に教えてもらい、1ヶ月でできる進化実験によって遺伝子に入る突然変異の頻度が薬剤耐性株の出現速度にどう影響するかというのを調べました。そして1年後、山田科学振興財団から研究費を得て、アメリカへと渡りました。
──念願のミシガン州立大学へ。
井筒:はい。ただ研究設備など環境は理研のほうが最新で、予想とは真逆でした。
もっとも教授以下、研究者のアイデアや情熱は素晴らしく、次々と優れた論文を発表していました。世界でも最先端の大腸菌の進化研究の現場で、研究に対する姿勢や考え方を学べたことは大きな収穫でした。
ミシガンでは遺伝的多様性と新規性そして集団サイズが適応進化のスピードにどう影響するかを調べる実験を行いました。みなさんがイメージしやすい例にすると、新型コロナウイルスの進化のスピードを上げたり下げたりする要因を調べていたという感じです。
──研究者としてはとても幸せなキャリアに思えます。研究者として順調にキャリアを積まれていた中で、なぜビジネスの世界への道を選ばれたのでしょう?
井筒:一番のきっかけは、新型コロナウイルスのパンデミックでした。
──どういうことでしょう?
井筒:新型コロナウイルスによるパンデミックのあのとき、私たちの研究室は真っ先に立ち入りを禁止されてしまいました。
進化の研究はその意義は高くとも、日々の生活に直接関係する領域ではありません。研究に使っていた資材は、新型コロナウイルスの検査施設に回され、自分は「エッセンシャルワーカーではない」という現実を突きつけられました。
一方で、疫学など近接領域の研究者は最前線でパンデミックの終息に向けて日夜研究を続けていました。
彼らが問題解決のために奮闘している中、自分は家で待つしかない。その状況にもどかしさを感じ、社会の有事に対して能動的に立ち向かえるスキルと立場が欲しいと強く思うようになったのです。
──ここからはお二人に共通してお伺いします。さまざまな学びと経験を経て、なぜ今DeNAを選ばれたのでしょうか?
佐野:「どうすれば、より多くの人を健康にできるだろう?」と常に考えていました。DeNAの子会社であるデータホライゾン社では全国の自治体と強いつながりを持ち、研究で得たエビデンスをセミナーなどを通じて分かりやすく伝える活動をしています。
それが自治体の方々の知識や理解を深め、最終的に住民の方々へと還元されていく。さらに、『kencom』がゲーミフィケーションの機能をうまく活用し、ヘルスケアを継続的に推進している点にも魅力を感じました。
自分の研究をDeNAで活用できたら、より多くの人々の健康に貢献する活動を加速させ、「人を健康にしたい」という私の思いを実現できるのではと考えました。
──井筒さんは?
井筒:当初、就職を検討していた製薬業界では、業界での一貫したキャリアや医学分野など関連領域での経験が求められているように思い、特に、私のような専門分野が異なる研究者から未経験での転職はハードルがあるように感じました。しかし、DeNAはヘルスケア事業を手がけながらも、医学とは異なる領域の研究者である私を受け入れてくれた点が、まず大きな決め手になりました。
加えて、これまでの研究室では得られないような大規模なヘルスビッグデータを扱えることにも大きな可能性を感じました。私は実験進化学を専門としていましたが、研究を深めるほど「実験だけでは見えない世界」があることに気づかされたのです。
治験では捉えきれない世の中の実態を、RWD (リアルワールドデータ)で可視化し、ヘルスケア領域で具体的な課題解決ができるのであれば、それはまさに挑戦しがいのある仕事だと感じました。
──とはいえ、アカデミアからビジネスの世界への転身となると、カルチャーの違いに戸惑うことはありませんでしたか?
井筒:意外なほどギャップは感じませんでした。DeNAのフラットな組織文化が、私がいたアカデミアの世界と似ていたからかもしれません。理学領域では上下関係に縛られず、教授でさえ「学生の方が良いアイデアを持っているかも」と柔軟に考えている環境でした。
DeNAも、目標達成のためには立場に関係なく意見が言え、それが適切に受け入れられる文化があるので、スムーズに馴染むことができたのだと思います。
──いま、井筒さんは具体的にどのようなお仕事をされていますか?
井筒:私はDeSCヘルスケアインダストリー統括部の分析企画グループに所属しています。製薬企業のお客様から「RWDを使って、このような調査がしたい」といったご要望を伺い、具体的な調査計画に落とし込んでご提案しています。
「要件定義」のプロセスは、研究における実験デザインと共通する部分が多いと感じます。お客様のご依頼を実現するために、仮説を立てたり、検証方法を考える点は、研究と共通する面白さがありますね。
佐野さんが先ほどおっしゃっていた「論文を書くことがゴールになりがち」な研究者の世界から飛び出し、違う価値を提供できることに、これまでとは異なる強いやりがいを感じています。
──佐野さんは、現在どのようなお仕事をされていますか?
佐野:私も井筒さんと同じインダストリー統括部のRWE推進部に所属しています。アカデミア向けのサービスのリーダーとして、大学の先生方にDeNAが提供しているRWDをご紹介し、研究でのご活用につなげる営業的な役割がひとつ。
また、学会などのイベント企画も担当し、医療関係者にエビデンスを紹介する活動や、自治体の方々にリアルワールドからエビデンスを出すことの重要性をお伝えし、エビデンスから社会還元の流れを生み出す役割も担っています。
──大学院での学び直しは、今の仕事にどのように活きていますか?
佐野:データベース分析の学び直しはもちろんですが、大学院で得た人脈はかけがえのないものだと感じています。
同大学の研究室の先生方はもちろん、医療従事者や省庁の方々など、そうした方々とのつながりは貴重な財産になっています。
──DeNAのヘルスケア事業では、国内最大級のヘルスビッグデータを活用したさまざまな取り組みを展開しています。現場にいらっしゃるお二人は、今後、どのような可能性を感じられていますか?
佐野:データの規模はもちろんですが、DeNAの強みは、自治体との連携によって健康保険組合だけでなく、国民健康保険や後期高齢者医療の保険データも含まれている点です。これによって全世代を対象とした分析が可能になりますし、今後介護データとの連携も進む可能性があります。そうなれば、高齢者疾患の分析の幅はさらに広がり、私たちが目指す「健康に資するエビデンス創出とサービスへの還元」をさらに大きく推進していけると考えています。
井筒:佐野さんがおっしゃったことに加えて、『kencom』を通じて得られるPRO(Patient Reported Outcome:患者報告アウトカム)にも期待しています。病院には行かずにOTC医薬品で対処している方や、まだ自覚症状のない段階の方、あるいは治療を受けた患者さんがどう感じているか、どんな変化があったのかといった「生の声」を集めることができます。
こうしたデータは、今後のヘルスケアにおいて非常に重要になると考えていますし、昨年、学会の基調講演をされた米国のある先生も「PROの重要性は今後ますます高まるはずだ」という言葉で結んでいました。多くの方々の健康向上に直接携われることに、大きな喜びを感じています。
──お二人の話から、「働きながら学ぶこと」や「アカデミアからビジネスへ転身すること」が、キャリアを大きく飛躍させる可能性を秘めていると実感しました。一方で、新たな一歩を踏み出すことに不安を感じる方も少なくないと思います。同じようなキャリアチェンジを考えているビジネスパーソンや研究者の方々へ、経験者として伝えたいことがあれば教えてください。
井筒:私は、コロナ禍をきっかけに「直接社会課題を解決したい」と思ってアカデミアを飛び出しました。私が情熱を注いできた進化の研究は、一見すると実社会とは無関係に見えるかもしれません。しかし、近年のパンデミックは、ウイルスの「進化」によって引き起こされたものです。進化を理解することは私達自身の由来を理解することにもつながりますし、将来起こりうる新しい病原体の出現の予測やその対処法検討にも応用できます。
あらゆる研究は、思わぬ形で社会課題の解決に結びつくことがあります。一見役に立たないと思えるような研究でも、それを突き詰めていくことで、いつか社会に貢献できる日が来るかもしれませんし、私のように全く違う分野への転身でも、能力を発揮できる場所があることを知ってほしいです。
佐野:私の場合は、働きながらの受験勉強も通学も、「何とかなる!」とお伝えしたいです(笑)。
「学び直し」に興味があっても、自分の置かれた環境を理由に「無理だ」と諦めてしまう方もいるかもしれません。私自身、育児と介護とワンオペが重なる大変な時期もありましたが、「やろう」と決めれば意外となんとかなるものです。便利な家電に頼ったり、時にはデリバリーや外食を利用したりと、楽できるところは楽をする。そして、集中すべき時には集中する。方法はいくらでもあります。
学ぶことで、キャリアの選択肢は確実に増えます。それは自分の未来の選択肢が増えることにつながっていることを覚えていてほしいです。
※本記事掲載の情報は、公開日時点のものです。
執筆:箱田 高樹 編集:川越 ゆき 撮影:小堀 将生
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