行政と民間の協働が賑わいのあるまちづくりを加速させる。鹿児島県庁職員がDeNAでの2年間を振り返った
2022年4月から2年間の交流派遣で地方行政からDeNAへ。鹿児島県庁の下夷 将史(しもえびす まさし)さんがDeNAで取り組んだのは、プロ野球のオフシーズン期間中の横浜スタジアムの利活用でした。鹿児島県庁では港湾の管理業務に携わってきたのが一転、DeNAでは横浜スタジアムとその周辺エリアの活性化プロジェクトに奔走する日々を送ったのです。
「この2年間で自分でも驚くほどの学びがありました。もちろん、多くのものを得ると同時に、僕がDeNAに寄与できたものもあったんじゃないかなと、僭越ながらも感じています」と下夷さんは笑顔で語ります。
異例の人事交流は、どんな価値と意義を生んだのでしょうか?メンター的存在だった都市開発部横浜エリア開発グループの早野 禎一(はやの さだかず)との対談で振り返りました。
県外民間企業への初の交流派遣。鹿児島県庁からDeNAへ
早野 禎一(以下、早野):下夷さんは3月でDeNAに丸2年いたことになります。4月からは鹿児島県庁での業務に復帰するわけですが、この2年を振り返った率直な感想を聞かせてください。
下夷 将史(以下、下夷):一言に集約するなら「濃密だけど、あっという間だった」ですね(笑)。
コロナ禍の中で家族と一緒に上京して、初めて東京に住み、畑違いの仕事をしながら子どもも生まれて。県庁時代とはまったく異なる時間を過ごしましたから。
早野:鹿児島県庁では、港湾関係の仕事をしていたんですよね。
下夷:はい。港湾で問題になっていた放置挺のための制度設計の素案を策定するなどの仕事をしていました。それ以前は、青少年育成に携わっており、海外に鹿児島の青少年を派遣する業務を手がけていました。
元々大学では地域振興のゼミに入り、地方都市の賑わい創出などに興味がありました。だから生まれ故郷の鹿児島のために何かできないかと考えて県庁職員になったんです。
早野:では「交流派遣で東京へ、DeNAへ」と言われたときは戸惑ったんじゃないですか?
下夷:そうですね。鹿児島県庁では、以前から民間のノウハウを学ぶための交流派遣があり、今回僕はその機会に恵まれました。
当時僕は入庁5年目で、「4月からはDeNAへ」と上司から言われたときは正直驚きましたが、じつは僕はゲームが好きで、プロ野球も好き。シーズン中は野球も結構観るんです。だからその2つが揃うDeNAへ行くことにとにかくワクワクしましたね。
早野:実際に中に入ってみて、DeNAの印象はどうでした?
下夷:2年前の初日、4月1日は金曜日でした。横浜オフィスに出社したのですが、出社しているメンバーが少なくて(笑)。
早野:コロナ禍の真っ最中で、リモートワークのメンバーがほとんどを占めていましたからね。
下夷:しかも最初のオンラインミーティングで、若手の女性がテキパキと進捗状況を報告したり、年次年齢関係なく闊達な議論が行われていて、なんというか、県庁での会議の雰囲気とは大きく違いました。
ただ、不思議とコミュニケーションの壁は感じなかったんです。転職者も多く、オープンでフラットな組織だからだと思うのですが、その雰囲気はとても心地よく、すんなりと場に入っていくことができました。
早野:実際の配属は、僕がいるスポーツスマートシティ事業本部スマートシティ統括部都市開発部横浜エリア開発グループでした。
プロ野球のオフシーズンの施設・公園の有効活用と将来的な関内・関外エリアの賑わいづくりの起点となることを目指し始めたプロジェクトにジョインしてもらいました。
下夷:はい。『BALLPARK FANTASIA』でした。
行政と民間、2つの視点でプロジェクトを推進
下夷:『BALLPARK FANTASIA(以下、BPF)』は、2020年に早野さんが中心となって起ち上げたイベントですよね。
早野:はい、2020年6月に関内駅前にあった横浜市庁舎が移転。関内には横浜DeNAベイスターズの本拠地・横浜スタジアムがあります。スタジアムを起点に年間を通して昼も夜も楽しめるエンターテインメント空間をつくり、これまでとは違った趣向で関内エリアに賑わいを創出できないかと考えたんです。
下夷:スポーツを軸とした賑わいのあるまちづくりの一環というわけですよね。
早野:そうです。シーズン中だけでなく、1年を通してたくさんの方にスタジアムはもちろん関内エリアに訪れていただき楽しんでもらう。『BALLPARK FANTASIA』と名付けてイベントの場にし、周辺地域との一体感を高めて、賑わいをつくり出そうと始動しました。
初年度はスタジアムのグラウンドを開放して、レーザー、ムービングライト、ビジョンなど球場内をさまざまな光で照らし、光と音の幻想的な空間演出でライティングイルミネーションイベントを開催しました。野球ファンだけでなく、家族連れやカップルの方々など、初めて関内に来たという声も多く、その盛り上がりは想定以上、多くの反響をいただきました。2回目の2021年は隣接する横浜公園にエリアを拡大、イルミネーションはもちろん、訪れる方に新たな体験を提供したいとコンテンツを増やしスケールアップして開催しました。
そして下夷さんが入った3回目の2022年は、スタジアムまで続く「日本大通り」も地域の街づくり団体と連携してライトアップし、エリア一帯が光と音楽に包まれるイベントに進化しました。
下夷:はい。第3回の『BPF』の準備と運営を手伝うのが、僕にとっては初年度の一番のミッションでした。
思い出深いのは、日本大通りを封鎖して実施したオープニングイベント。地元中学校のマーチングバンドが演奏しながら日本大通りを進み、参加者の方々を引き連れて、横浜スタジアムに入場。高らかにイベントのスタートを告げる、という演出でした。
早野:「公道を封鎖」するのは簡単ではありませんでしたよね。下夷さんに大活躍してもらいました。
下夷:行政はもちろん、警察に許可をとる必要もあるし、沿道のビルの方々にもご説明して、地元のみなさんの理解を得る必要がありましたからね。
早野:だからこそ「下夷さんが大活躍」だったのは、お世辞じゃない。行政、横浜市との折衝では、本当に頼れる存在でした。
それまで市役所との折衝は僕がメインで担当していたのですが、行政側の視点を持つ下夷さんが参画してくれたことで相互理解が深まり、より濃いコミュニケーションに発展した。双方をつなぐ架け橋になってくれたと思います。
下夷:実際、僕も行政の人間なので、市役所の方々に共感する部分が多かったんです。
早野:『BPF』における日本大通り封鎖のプロジェクトを市役所に提案する際も、用意したプレゼン資料を事前に丁寧にチェックしてくれて、情報の過不足を補ってくれましたよね。
「この部分はもう少し情報を増やして厚く伝えたほうがいい。行政が不安なところなので」「ここは数字で示すと先方は安心します」といった具合に、“行政目線”で直してくれました。それが効いた。明らかにその後のやりとりが円滑になっていったと思います。
下夷:行政は何をリスクと捉えるか。また市民、県民に対して、どんな説明と理由を求められるか。そうしたニーズが分かるので、事前にそういった点についてもしっかり明示したほうがいいだろうと考えました。
早野:DeNA側にとっても、市役所側にとっても、下夷さんの存在は大きかった。交渉がスムーズに進むようになり、双方へのメリットは大きかったと思います。
下夷:貢献できたなら嬉しい限りです。一方で、日本大通りに面したビルの方々に、2人で一軒一軒ご挨拶にいったのはなかなかタフな経験でした。
早野:ロジカルに説明すればいいというものでもないですからね。ただ、ここでも下夷さんの良さが出た。若さと熱意と屈託のない人柄は、余計な警戒心を持たれずに話をきいてもらえた感があります。
下夷:むしろ僕は、地域の方々と真正面から向き合うDeNAの凄みを感じました。「DeNAはまたおもしろいことをやるね」と評価とブランド力がすでに浸透していた。民間企業が地域のために、本気で動いているのはうらやましくも感じました。
いずれにしても、こうした長い折衝を経て、2022年12月3日にオープニングイベントで日本大通りからマーチングバンドと大勢の参加者が連なってスタジアムに入っていった。そして開会したときは、ぐっとくるものがありましたね。
公務員として共感できた「ことに向かう」姿勢
早野:メインで手がけたプロジェクト以外でも、下夷さんはフットワークが軽いからいろいろ声をかけられて手伝っていましたよね。
県庁職員という自分たちとは異なるバックグラウンドを持つ下夷さんの知見と、DeNAでの下夷さんとの時間を通じて、他のメンバーも「力を借りたい」と思っていたんじゃないかな。
下夷:どうですかね(笑)。
ただ、声をかけられやすいように、なるべく出社して対話の機会をつくろうと心がけました。また物怖じせず、いろいろ挑戦させてもらおうと意識してもいました。
早野:DeNAのコーポレートカルチャーに戸惑うことはありませんでしたか?県庁とのギャップがあったんじゃないかなとも思うんだけど。
下夷:最初は多少、戸惑いました。とにかく皆さん仕事が「早い」。報告書などを作成するときにも感じるのですが、ちょっと確認を求めると「ココとここ、伝わりづらい」「そこの意味がわかりにくい」などとすぐさま戻しがくる(笑)。
あとミーティングを「今日は30分で終わらせましょう」と言ったら、30分で終わるだけではなく結論が出ている。31分後には施策として動き始める。あのスピード感で業務を遂行していくのはかなり刺激になりました。
ただ「こと」に向かうとか、全力コミットとか、DeNA Quality(社内共有の価値観)にあるような姿勢は個人的にはすっと腑に落ちました。公務員も紐解けば、同じ思いで動いているところがある。地域のため、市民のため、ことに向かうのは変わりませんから。
早野:確かにそうかもしれませんね。そして、DeNA2年目に挑戦したのが、『まちあそび人生ゲームin関内』でした。関内周辺エリアを人生ゲームの盤に見立てて、ルーレットを回して出た目のお店や施設に立ち寄る。そして、『BALLPARK FANTASIA』を開催している横浜スタジアムをゴールとして目指すという『BPF』との連動イベント。ここでは企画の段階から、プロジェクトリーダーをお願いしました。
下夷:はい。「人生ゲーム」のIPを持つ株式会社タカラトミーさんに交渉するところから携わることができました。
このプロジェクトも、市役所や警察と折衝することは大前提として、100店ほどリストアップしたお店や施設、一軒一軒にマス目への参加のご協力をお願いしたのはやはり苦労しましたね。
もっとも、個人的に一番大変だったのは、プロジェクトリーダーとしてチームメンバーをリードすることでした。イベント全体を俯瞰で管理しながら、メンバーの役割を決め、進捗を確認しながらまとめていく、といったことが思うようにできず。そんな時に絶妙なタイミングで早野さんが声をかけてくれました(笑)。
早野:気を使いすぎているところもあるんじゃないかと思ったんです。
下夷:Slackで「説明の順序を変えたほうがいいんじゃないか」「必ず自分の意見も添えてから『どう思うか』尋ねたほうがいい」と言われて冷静になることができました。
早野:「あと1年しかいない」と派遣期間のリミットもあったので、伝えられることはすべて、DeNAで一緒に働く仲間として伝えたい意識があったんです。
下夷:本当に助かりました。最初に感じた「こと」を進める圧倒的なスピード感は、こういう一つひとつのロジックによって担保されていたんだなと実感しましたね。
結局、半年ほどかけて企画した「まちあそび人生ゲームin関内」は、目標チーム数をはるかに超える1300チームに応募していただくことができました。
早野:合計3000人が参加する大イベントになりましたね。しかもアンケートをとると満足率は98%、「次回も参加したい」という方が99%もいたのは驚きでした。
下夷:うれしかったのは、子育て世代の方がファミリーで参加して「いつも以上に家族の会話が増えた」といった声が多かったこと。また「関内にこんなおもしろい店があるとは思わなかった」と人生ゲームを通して訪れた店とエリアの魅力を再発見されている方が少なくなかったことでした。
早野:それにしても2年で本当に大きな成果を出されましたよね。また元々持っていたやわらかいコミュニケーションに加えて、自信を持って説明できる思考というか、あたらしい「武器」みたいなものを手にした気がします。
また、先に述べた行政の方々がどういう思考か、そのためにどんな点に配慮してコミュニケーションを進めていくことが大切か、我々こそが学べたことは多いと感じています。
下夷:本当に人事交流は双方にメリットがある機会だと実感しました。自治体ではできない多くの体験ができましたし、人前で話す機会も激増しましたから(笑)。また自分の意見を持って話す、事業を自分ごととして捉えて思考を巡らすトレーニングも重ねられたと思います。
早野:何かを得ようとどんなことでも前向きに考え、挑戦する下夷さんの姿勢があったからだと思います。「行政はこうだからムリですよ」とか「行政はそうじゃないからできません」といった思考が一切なかった。
下夷:ありがとうございます。鹿児島県庁に戻ったら、DeNAでの体験を発信して、いいところを取り入れながら今後の業務に携わっていきたいと考えています。ある意味、異質な存在になるので、まずは味方を増やしていくことから、ですね(笑)。
早野:一緒に仕事をして強く印象に残ったのは、常に「生まれ故郷のために」「鹿児島でこれを活かせるんじゃないか」という変わらない視点と意識でした。
下夷:鹿児島県庁からDeNAに派遣された第一号ですからね。DeNAでの2年間の経験をこれからの活動に大いに反映し、成果を出す。そして継続させていくことが絶対的なミッションだと思っています。
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執筆:箱田 高樹 編集:川越 ゆき 撮影:内田 麻美